2016年4月、日本を訪れた南米ウルグアイの前大統領、ホセ・ムヒカ氏は、広島への訪問を熱望し、実際に訪れました。これは彼が広島平和記念資料館を見学した後述べた言葉です。
ムヒカ氏が世界的に有名になったのは、2012年にブラジル・リオデジャネイロで開かれた国連会議でのこと。グローバル経済や大量消費社会を批判したスピーチが反響を呼びました。
それは、強い意志と信念を持って世界に訴えた彼の言葉に、私たちの根底にある魂が共鳴し、震わされたからでしょう。
優しい笑顔やまなざしとは裏腹に、彼自身は実にハードな半生を歩んでいます。貧困家庭に生まれたムヒカ氏は、幼いころからパン屋や花屋などで働き、10代から格差のない社会を夢見て政治活動を始めました。
そして当時の独裁政権に反抗する組織に加わって左翼のゲリラ活動を行い、4回も投獄されました。しかも、4度目は銃弾を受けて一命を取りとめた後で、その投獄生活は13年間にも渡っています。独房には換気扇やトイレなどが何もなく、床を這うアリに話しかける日々…。
水分補給が足りず、尿を飲んでしのぎました(これは良い)。精神錯乱状態になり、幻覚や幻聴に苦しめられて病院へ運ばれたこともあったといいます。
そんな中、7年間禁止されていた読書が許されたことを機に、さまざまな書籍に触れ「人間とは何か」を問うようになります。そして彼が行き着いた結論はこれです。
彼は人間の持つ弱さや悪の側面を受け入れた。
1985年、出獄の数日後に行った演説で彼が説いたのは、過去を乗り越えることの重要性だった。かつてイデオロギーで世の中を変えようと考えていたムヒカ氏は、ついに人間性に寄り添う精神を得たのです。
「世界一貧しい大統領」の誕生
その後民衆の支持を受け、大統領への階段を上がっていく。大統領公邸には住まずに郊外の農場に住み、ムダ遣いをせずに給料の大半を寄付する。ホームレスの男性にお金を与えたり、ヒッチハイクしようとしていた見知らぬ人を自分の車に乗せるなど、任期中の彼の言動は度々話題になりました。
そんな暮らしぶりから親しみを込めて「世界一貧しい大統領」と呼ばれるようになったムヒカ氏は、著書『世界でいちばん貧しい大統領からきみへ』でこう語っています。
このような彼の“足るを知る”姿勢は、『ヨーガ・スートラ』の「ニヤマ」にも共通しています。激動の人生における経験と洞察から発されているムヒカ氏の言葉や信念。私たちは同じ経験はできなくても、それらに共鳴する同じスピリットを持っているはずです。
与えよ、さらば与えられん。ヨーガのスピリチュアリティー、その根底にあるヤマ、ニヤマ。ヨーガの実践は、その霊性を磨き、彼のような精神性に近づく手助けとなります。
José Alberto Mujica Cordano
ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ
政治家。1935年生まれ。1960年代に非合法政治組織に加わる。ゲリラ活動に従事するが逮捕され、過酷な獄中生活を送る。出獄後再び政治活動を始め、1995年に初当選。2005年に初入閣。2010年から2015年までウルグアイ東方共和国大統領を務める。