ナチュラル・ハイジーンを日本人に最初に伝えた師・松田麻美子先生が、2023年11月21日永眠されました。不慮の事故、一人で昇天されました。
11月19日の京都講演、会場はピンクのオーラで一体となりました。講演会ラストにご自身の食事の内容を、時間の許す限り伝えられた。本当に全情熱を出し切った感…その残像が脳裏を霞む……。サイン会以降は、先生の本に救われた多くの方々が、涙を流しながら感謝の意を伝え──お一方ずつ、誰一人とりのこすことなく、手を添え傾聴される麻美子先生のお姿が印象的でした。その後も続々と先生への感謝のメッセージが届きました。これが麻美子先生の最後の講演会となりましたこと、無念でなりません……。ありがとうございました。
その懇親会のあと、タクシーで京都駅まで移動する別れ際、麻美子先生とハグをした……キャシャなのに強く、先生のやり遂げた感と生きる力が伝わってきました。翌20日の電話では、先生はご自身の体調の話をされました。深夜 1 時頃までやるべきことをやり、就寝され、朝はいつも通り 1 時間ほど歩かれた。「疲れている時はいつも私はヨーガをするの、ヨーガはいいですね」と言われた。また名古屋のお食事会でお会いする約束をして電話を切りました。
私たちは麻美子先生にお別れをすることはできませんでしたが、火葬で、お柩にお花を添えてもらいました(裕子さんに託した)。ピンクローズの薔薇の花言葉は「愛」「美」「感謝」で、花の女王である薔薇は先生に相応しい花……この薔薇たちに私たちの想いを託しました。グスコー出版の佐藤さんは、お柩に「フィットフォーライフ」と「常識破りの超健康革命」を入れられました。先生は周りの人たちの愛に包まれて、幸せに旅立たれたことと想います。
麻美子先生は新チャイナ・スタディーの翻訳の原稿に熱心に取り組まれ、来日前にやっと書き終えられたところで、大変疲れていたようです。11月29日、先生の死を知ったコリン・キャンベル博士は「私は17年ほど前から麻美子を知ることができ、彼女の仕事ぶりや、食事療法と栄養情報に対する情熱にとても感銘を受けていました。 彼女とはおそらく10回は会いました。とても悲しく、驚きの知らせです」とナッシェルの美代さんに返事を書かれました。
一粒の麦
一粒の麦は地に落ちることによって無数の実を結ぶ
(人を幸福にするためにみずからを犠牲にする人)
麻美子先生の死は、実はかなりこたえました。知った瞬間から、何も食べられず、腹に釘が突き刺さったような状態が続いていました。しかしエバンジェリストの仲間とのやり取りで、行き場のない心を、なんとか穏やかに保つことができていた……辛いのは自分だけではない。
死因がどうあれ、麻美子先生の存在は自分にとって絶大でした。父の死後、鬱々とした孤独育児中、先生と直にお話しできたことで……先生がナチュラルハイジーンを伝える人になってほしいと言ってくださったことで……人生が変わったのですから。
麻美子先生は「地位と名誉の物質世界」から、「愛と慈悲しかない世界」への帰還を完全に果たされ、まさしく魂が天命を全うされ、故郷へ帰られたのだと想います。「松田麻美子」が日本人に齎した大偉業、その叡智の遺産…宝物を、決して歪められることなく、私たちは真摯にお伝えしてゆかねばならない。そう想う所存でございます。この動画は大切な人を亡くされた方(残された人)へ向けてつくりました。
人の死は残された人間を強くする
クリシュナムルティが反逆者に変容した背景のひとつ
人は絶望によって目覚める