クリシュナムルティ「禅×ソクラテス」

 

 人間と無限者ないし神との関係に多方面から探りを入れた一書『宇宙の肚』の中で、著者アーサー・W・オスボーンは、クリシュナムルティのプレゼンス=「禅×ソクラテス」であると説き、「禅的な側面は、非二元的な真実在をめざすところに見出され、一方、ソクラテス的な側面は、彼が問答を通じて、絶えず問いを質問者に投げ返し、話しあいのテーマになっている問題の本質を、質問者自身が氣づくようにさせる点にある」と指摘している。

 クリシュナムルティと禅との類似性を指摘する研究者は多い。科学者で禅の研究者でもありクリシュナムルティの熱烈なる研究家ロバート・パウエルは、著書『禅と真実在』(Zen and Reality, 1961) の中で、「クリシュナムルティが心理の領域で為し遂げたことは、物理学においてアインシュタインがおこなった革命に匹敵する」、「クリシュナムルティと禅は本質的に同じものである」と言い切っている。

 また、クリシュナムルティの位置づけに関連して、彼を、近・現代インドの霊的指導者のひとりとして、ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ、ガンディー、ヴィノーバ(ガンディーの精神的後継者)の列に加える見方もある。

 『世界の息吹き』の著者L・C・ベケットは、真理を啓示し、それによって人類に光明を与える点で、クリシュナムルティを、仏陀、老子、モーゼ、イエス、プロティヌス、アッシジの聖フランシス、エックハルトらと同列にみなしている。

 インド人の学者ケーワル・モトワニは、その著『三大賢者──スリ・オーロビンド、アニー・ベザント夫人、J・クリシュナムルティ』の中で、三人の教えを比較して次のように要約した。「スリー・オーロビンドとベザント夫人は道を指し示すが、クリシュナジーは各人を道そのものとする。すなわち、二人が終わったところから、クリシュナジーは出発する」

 同じくインド人のA・D・ドーペシュワルカール教授も、クリシュナムルティの深い理解者のひとりである。教授は大学で30年ほど西洋哲学を講じていたが、何か釈然としないものを感じていた。そのときクリシュナムルティが、天啓のように教授の視界に入ってきたのである。以来教授は、人間の諸問題解決の新たな展望を得て、クリシュナムルティについての解説書だけで何冊も公表している。

 出版社のチェタナ(Chetana, Bombay)は、「クリシュナムルティ文庫」として、他にフランス人の誠実なクリシュナムルティ研究家カルロ・シュアレスの『クリシュナムルティと人間の連帯』をはじめとする優れた解説書を何冊も出版している。

 ガンディーが暗殺されたとき、孤立感にかられたネルーが、その内面の苦悩を密かにクリシュナムルティに打ち明けた、というエピソードなどは、インドにおけるクリシュナムルティの影響力の一面を示唆しているといえる。

 クリシュナムルティの生き方、在り方、言霊──すべてにおいて、私は肚の底から共感を覚える。

 

 

 

 

  

 

クリシュナムルティは菜食主義

 クリシュナムルティはできればオーガニックの野菜を使った菜食であり、脂肪、油、乳製品をできるだけ避け、精製小麦粉、砂糖、加工品も用いなかったし、唐辛子やしょうがのような香辛料も使わなかった(マイケル・クローネン『キッチン日記』(p.64))。また、飲酒、薬物、タバコの経験はなく、30年以上も紅茶やコーヒーも飲まなかった(『クリシュナムルティとは誰だったのか』(p.88))。

 まさしくナチュラル・ハイジーンに極めて近いプラントベース・ホールフード(未精製未加工の植物性食品)の食事です。動物を殺めることの惨さを訴える言葉も数多く、アヒムサ(非暴力)かつアニマルライツ(動物の権利)を重要視する倫理的菜食主義者とも言えるのではないでしょうか。この点において、「食と覚醒」を研究する者としては非常に興味深く、摂取するものと霊性との関係性において納得できます。

 プラトンは、「神は人間の体に栄養を補給するために、木と植物と種を創造した。肉食が始まったことによって戦争が起こった」と言及しました。クリシュナムルティはベジタリアンでしたが、他人にも強要する菜食主義者ではなかった。彼はその理由を問われ「(食べるために殺される動物達が)哀れだから」と答え、それ以上は何も語らなかったといいます。私はこの姿勢に非常に強い感銘をうけました。

 

 

 

 

  

 

 

Radha Chihiro
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