TAO SILENCE

 

 老子が「道(タオ)」と呼んできたものは、人間がこれまで神とか仏とか宇宙意識とか呼んでいた、万生万物の根源としての「一なるもの」である。

 道徳を修めた老子は、自らの名が知られることを避けていた。老子は後世に伝わる『老子道徳経』(上下2編、約5000語)を書き残した後、いずことも知れない処へ去った。その後の事は誰も知らない。自分は老子のこの在り方を想うたびに、胸が締め付けられる想いに駆られる(感動の肝)。老子道徳経その思想自体がそうであるように、真に悟った人はこうなるからだ。

 老子については諸説あり、ある伝説では、老子は13度生まれ変わりを繰り返し、その最後の生でも990年間の生涯を過ごして、最後には道徳を解明するためにインドへ向かったという。さらに老子が仏陀に教えを説いたとも、または老子は後に仏陀自身となったという話もある。

 道(タオ)は一を生ず(生み出す)。一は二(陰陽)を生ず。二は三(陰陽と沖気)を生じ、三は万物を生ず。万物は陰(無為)を背負って、陽(有為)を抱える。沖気(ちゆうき)というのは、調和(均衡)の状態を維持することである(調和の気)。道は全体に対して、弱い力(悉く謙虚に…)として働いている(42章)。

 道(タオ)は、循環運動を永遠に続けている。あらゆる存在は、「有」として、「無」から生まれている。「有」が「無」として、「無」が「有」として、運動して生じてゆく姿は、反(循環)である【反る者は道の動なり。弱き者は道の用なり。天下万物は有より生じ、有は無より生ず】(40章)。

 道(タオ)は隠れたもので、名がない。大象(無限の象)は形がない。道(タオ)こそは、何にもましてすべてのものに援助を与え、しかもそれらが目的を成し遂げるようにさせるのだ。この援助(救済)は、玄徳(奥深き徳、慈悲、愛とも…)と言えるものである。

 

生み出すが所有しない
行動するがその成果を自分のものとしない
成長させるが支配しない
これを玄徳という

Producing without possessing,
Acting without taking credit,
Growing without controlling,
This is called mystical virtue.

老子道徳経第51章

 

Like water, when ‘you’ are not apart of the equation, everything you do flourishes.
This is optimal alignment with what is Tao.
Only present moment matters.

 

 

第4の視点

 人間社会は、四つの交換様式の組み合わせから成り立つ。一つ目の交換様式Aは「互酬(贈与とお返し)」。人類史で見れば、原始社会や氏族社会は交換様式Aの原理から成り立つ。

 二つ目は、被支配者は支配者に対して税や年貢を支払い、その見返りとして、生命財産の保護を受け、公共事業や福祉などを通じて再分配を受ける交換様式B「略取と再分配」。

 三つ目の交換様式Cは、資本主義社会で最も支配的な交換様式である「商品交換」。

 四つ目の交換様式Dは、「交換様式A・交換様式B・交換様式Cのいずれをも無化し、乗り越える」交換様式である。

 「交換様式A・交換様式B・交換様式Cのいずれをも無化し、乗り越える」交換様式Dの実現を目指す社会運動が出現する条件は、非常に発展した交換様式A・交換様式B・交換様式Cが社会に浸透していることであり、交換様式A・交換様式B・交換様式Cが社会を包摂しているからこそ、それらを無化し、乗り越えようとする「交換様式D」が出現する。

 交換様式Dは、まず崩壊していく交換様式Aを高次に回復する社会運動として現れる。具体的には、共同体的拘束から解き放たれた自由な個人のアソシエーションとして相互扶助的な共同体を創り出すことを目指す。したがって、交換様式Dは共同体的拘束や国家が強いる服従に抵抗する(交換様式Aと交換様式Bを批判し、否定する)。また、階級分化と貧富の格差を必然的にもたらす交換様式Cを批判し、否定する。

 これこそが交換様式Dは、「交換様式A・交換様式B・交換様式Cのいずれをも無化し、乗り越える」交換様式である、ということの意味であり、時代の過渡期を生きる私たちも交換様式Dをまさしく採用したい。また中国における「老子」も交換様式Dを開示したのである。

 

老子のイデオロギー

 老子が描く理想的な「小国寡民」の国は、とても牧歌的な社会である。そこでは兵器などあっても使われることは無く、死を賭して遠方へ向かわせる事も無い。船や車も用いられず、甲冑を着て戦う事もない、戦乱の無い世界を描く。

 民衆の生活についても、文字を用いず縄の結び目を通信に使う程度で充分足り(テレパシー)、今のままでもその食物を美味と思い、服装も立派だと考え、住まいに満足し、それらを自給自足で賄い、その素朴な習俗を楽しむ。

 隣の国との関係は、互いに望み合えてせいぜい鶏や犬の鳴き声がかすかに聞こえる程度の距離ながら、一生の中で往来する機会なども無い。このような鮮明な農村の理想風景を描写しながら、老子は政治についても説いている。

 大国統治は小魚を調理するように上からの干渉を極力抑えて、民のあるがままにすべきと君主へその秘訣を述べ(60章)、要職者などに名声が高まったら返って謙虚にすべきと諭し(9章)、民に対する為政者へりくだりこそが天下に歓迎され、長期にわたり安泰を維持出来る(66章)。

 権力政治に対して、民が君主の圧政と重罰に慣れると、上の権力をものともしない状態になり(72章)、民が圧政に苦しみ、死を恐れなくなれば死罪による脅しも効かなくなり民の反乱、国家の崩壊を招くと警告している(74章)。また、法令をどんなに整備しても必ず法網をくぐる者が現れ、さらに犯罪者が増えるという趣旨から法律・政令の簡素化を説く(57章)。

 

Radha Chihiro
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