「母という呪縛 娘という牢獄」 齊藤彩 著 講談社
実際にあった娘による母親殺害事件のノンフィクション。
国立大医学部を目指し9年間浪人した(させられた)あかりが、看護学科に進学し国家資格を取っていよいよ自分の人生を歩み始めた矢先に起きた事件です。あかりの母妙子は娘の看護学科受験は渋々諦めますが、看護の道に進むのなら助産師にならなければいけないと娘をコントロールしようとします。しかし、あかりは助産師になる気持ちはなく、大学の手術室の看護師になりたいと思っていたのです。あかりが助産師の学校の受験に落ちた翌日、この惨劇が起きました。母親を殺し、死体を処分します。
読んでいて、苦しくなりました。
妙子は、あかりに対して「生まれたときから医者にしようと思っていた(p.83)」と口にしています。そして、あかりを5歳ごろから近所の英会話教室に通わせ、学力テストは100点満点の90点が最低ラインというルールで縛りつけます。
中学受験の時も大学受験の時も、あかりは一教科につき二~三冊の参考書を買い与えられ(p.96)、それを解くように言われていました。
あかりが妙子の要求に応えられないと、クローゼットに閉じ込める、鉄パイプで背中を殴るなどの虐待もありました。中学のときには、太腿に熱湯をかけられ火傷したこともあります。
妙子の罵声には、「詰問」「罵倒」「命令」「蒸し返し」「脅迫」「否定」など、いくつかのパターンがありました。
・詰問;「何でこんなことが分からないの?」
・罵倒;「嘘つき」「バカ」「デブ」「不細工」
・命令;「言い訳しない!」「勉強しろ!」
・蒸し返し;「あんたは保育園(小学校、中学校)のときから・・・」
・脅迫;「お父さんみたいになるよ」「ちゃんと成績取れなかったら学校辞めさせるからね」
・否定;「あんたなんか産まなきゃよかった」「死ねば良いのに」
・その他;「人は人、関係ないでしょ、目標が違うんだから」
こんな生活を続けているのに、あかりは母親に対し素直です。いつも丁寧な言葉で謝り続けるのです。逃げればよかったのに・・・と、読んでいて何度も思いました。実際、あかりは何度か逃げようとしているのですが、母親がその度に連れ戻しました。妙子は、探偵を頼むということまでしていたのです。
唯一安心できる場所は、父親だったのですが、あかりが小学校6年の時に、父と母が別居することになりました。父のビルメンテナンスの仕事は昼夜問わず頻繁に呼び出しがあり、父はそれに対応するため職場近くの社員寮に単身で住まうようになった(p.62)のです。
それでも、なぜ父親がもっとサポートできなかったのかと思う人もいるかもしれませんが、それは難しかったと思います。妙子のような人たちは、決して父親に口出しをさせないように子供を囲い込んでしまうのです。この辺りのことは、この本には書かれていませんが、娘の学費などはアメリカにいる妙子の母親タカコからの援助を受けていたようですし、妙子は夫の学歴をバカにしていたようなので、教育には口出しさせてもらえなかったのではないかと思います。
20数年心理の世界に関わってきて感じることなのですが、実は、妙子がやっていたようなレベルではないけれど、それに近いことは、お受験に執着している親がよくやることなのかもしれません。「ブラックジャックのような医者になりたいんだよね」、「ドクターXみたいになるんだよね」と、小さい頃から親が洗脳していた例も、早期に英会話を始めさせ、小学校低学年から英検を受けさせ、子供を英語嫌いにさせてしまった例も、点数に固執するあまり「間違いから学ぶ」という意識ではなく「間違うのが恐ろしい」という反応に子供を導いてしまっている例も、強迫的にたくさんの参考書を与えてしまった結果、処理するのに忙しく落ち着いて考える時間がなくなってしまい、逆に成績が落ちてしまった例もたくさんあります。
また、妙子のような「詰問」「罵倒」「命令」「蒸し返し」「脅迫」「否定」のセリフを吐く親を何人も見てきました。みんな同じようなセリフで子供を精神的にコントロールし罵倒し傷つけていました。
そして、学歴・キャリアへの執着は、母親に限ったことではありません。最近では、父親もお受験に参入し妙子と似たようなことをやっている例を見かけます。両親から責められたら子供はたまったものではありません。
どんなに酷いことをされても、子供は親から認めてもらいたい、親に喜んでもらいたいと思うものです。あかりは逮捕されてからも、頑なに母親の殺害は認めませんでした。母親は自殺ということで押し通し、死体損壊・遺棄罪の判決に持ち込めるはずでした。しかし、あかりは、最後の最後に母親殺害を自白するのです。
あかりが最後に母親殺害を自白したのは、自分の気持ちを深く理解してくれる人がいることに気付いたからです。そして、その人たちは、あかりが殺人者になっても彼女を理解しサポートし続けました。
今の世の中、あまりにも人を、学歴・年収・容姿などのタイトルでジャッジしすぎなんじゃないかと思います。タイトルはそれだけだったら、不幸を産むだけです。上には上がいるし、油断すればタイトルを失うことになるし、常に不安にさらされているわけです。
幸せとは、タイトルとは関係のない、何気ない体験でもたらされるのではないかと思います。あかりは、どん底まで落ちた後、タイトルとは無縁の、小さな、しかし大切な幸せを感じることができたのではないかと思います。そして、罪を償ったら、初めて彼女が、自分の人生を歩んでいくと信じたいです。
(日本トランスパーソナル学会理事・臨床心理士・向後善之 書評)
逃げ
逃げて怒られるのは
人間くらい
ほかの生き物たちは
本能で逃げないと
生きていけないのに
どうして人は
「逃げてはいけない」
なんて答えに
たどりついたのだろう
頑張り過ぎ、我慢し過ぎで追い詰められてその後の人生が続かなければ意味はない。立ち止まる=一歩引く=逃げる。そこから何か別の方法、道が見えてくる。現代人は色んなモノに縛られ過ぎ。人はもっと自由でいい。
Follow your instinct!
自分の直感、本能に従って生きよう!
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