トルストイとドストエーフスキイ

 

もし人類が進化するなら、恐らくあらゆる人が肉食及び動物の残酷なる殺戮を辞退する時が来るであろう。

(メレジコーフスキイ著/昇曙夢訳『トルストイとドストエーフスキイ』創元文庫, 1952)

 

 内容はロシアの二大文豪の生活と芸術の検証を通じて「神人と人神」の問題に探りを入れ、「霊と肉」の深淵を見据え、「超人」の出現や来るべき「世界宗教」の可能性を模索するといった、実にスケールの大きなものです。

 「もし人類が進化するなら、恐らくあらゆる人が肉食及び動物の残酷なる殺戮を辞退する時が来るであろう」というメレジコーフスキイの言葉に深い感銘を受け、また、その残酷さを示すために「トルストイの論文中、かなり薄弱で論拠の足りなかった一論文で、菜食主義と肉食の節制とを説教した『第一歩』の中に、トルストイの最も偉大なる創造に属する、獣の死を記述した個所が数頁ある」として、メレジコーフスキイが紹介している箇所に深い衝撃を受けました。

 ある日レフ・ニコラーエウィチは荷馬車と一緒にモスクワの近くのある村を馬車で過ぎて行く時、人が豚を殺しているのを見た。「その中の一人が小刀でもって豚の咽喉笛を刺した。豚は叫んで、身を引きもいで、血まみれのままそこから逃げた。私は近眼だから、残らず精確に見たわけではなかった。ただ人間の肉体のように薔薇色をした豚の体を見、その絶望的な鳴き声を聞いたばかりだ。ただし私の馭者は一々残らず認めた。そして目を放さずその方を見ていた。豚は捕らえられ、打ち倒され、そして全く殺された。叫喚が鎮まった時、馭者は重く溜息をついた。『あんなことをして罰が当らないものでしょうか。』とそう独語った。」

 二三日の後レフ・ニコラーエウィチはツーラの屠殺所を訪問した。「それは熱い七月の日であった…。仕事は真最中だった。建物の中には暖かい血の重い臭いがいっぱいで、床は全然褐色でぴかぴかしていた。床の凹みには凝り固まった黒い血があった…。私は建物の中に入って戸口に立ち止まった。私がここに立ち止まったのは、あちこちと押しやられる屍のためにそこらが狭いぐらいだったからである。血が下に流れ、また上から滴り、そこにいた屠殺者達は血に染まっていたし、私にしてももし思いきって中へ入ったならば、確かに血に染まるだろうと思ったからである。一匹の、上に吊られた屍は下ろされた。今一つの屍は扉の所へ引きずられた。第三の屠られた牡牛が床の上に仰向けに白い足を拡げて横たわっていた。そして一人の屠者は強い拳をもってその皮を剥いだ。同時に私の立っていた向こう側の扉口を通って一匹の大きな赤い牡牛が連れて来られた。二人の男がこの牛を引っぱった。彼等がやっと彼を引っぱり込んだか引っぱり込まないかに、私は一人の屠者が彼に近づいて頸の所へ一本の剣を刺して、その上を打ったのを認めた。牡牛はあたかも一時に四本足を払われたかのごとくに、腹をついて一方の側へ倒れ、足と後体とでもってそこいらをのた打った。一人の屠者はぐるりを蹴っている足の反対側から牛の前方に身をのせかけて、角を掴んで牛の頭を地に押しつけた。もう一人の屠者は小刀を持って彼の咽喉笛を切断した。紅黒い血が頭の下から迸り出た。一人の血に染まった少年がブリキの容器を流れ出す血の下へ圧しつめた。こんなことをしている間牡牛は絶えず、起き上がろうとするかのように頭をぴくぴくと動かし、そして四本脚で空を蹴った。容器はすぐいっぱいになった。ただし牡牛は依然として生きていた。そして苦しそうに腹を動かしながら、前脚と後脚とをもってあたりを蹴ったので、屠者はそれを側へ避けた。一つの容器がいっぱいになると、少年はそれを頭に載せて蛋白製造所の方へ持って行った。今一人の少年はまた第二の容器を下に置いたが、それも段々いっぱいになってきた。ただし牡牛はまだまだ腹を動かしてそこらを蹴った。血の流れるのが止んだ時、屠者は牛の頭を持ち上げて皮を剥ぎ始めた。牡牛はなおもがき続けていた。頭はむき出しになり、白い条のついた赤いものになった。そして屠者の据えたままの位置をとった。両側には毛皮が垂れ下がった。牡牛はそれでもまだもがくのを止めなかった。やがて屠者の一人は一本の脚を掴んで、それを打ち砕いて切り取った。胴体と他の足とはまだぴくぴくはねていた。残りの足も切り取られて、同じ持主の牛の足がまだ外にも重ねてある上に投げられた。それから牛の体は起重機の所へ引きずって行かれ、そこで横木の上に留めて吊された。最早ぴくりとも動かなかった。–私は後で牡牛の引入れられた扉口の方から入った。ここで私は同じことを一層近く、また、従って一層はっきりと見た。ここでは特に最初の扉口から見なかったことを見た。すなわち、獣がいかに強いられて扉口を通るかを見た。人が牛を囲いから連れて来て、それから角に縛りつけた細引で前から牛を引っぱる度毎に、角を縛られた牛は血を嗅ぎ別けて頑張った。時には吼えて後退りした。二人の男には腕力で牛を引きずり入れることができなかった。だからその度毎に一人の屠者は後の方へ行って、牛の尾を掴んで、それをこじあげ、軟骨が音をたてる位に尻尾の付け根を破った。すると牛は前へ進んだ。」 一匹の牡牛が連れて来られた。それは「純良な美しい若い逞しい、そして勢いの好い黒い牛で、白い斑点があって足も白かった。」彼は長いこと闘って屠者の手から振り切っては逃げた。が、とうとうお仕舞には彼を引っぱってきて頭を型木に入れた。「屠者は狙いを定めて打った。すると美しい生命の漲った牛は地に倒れて、頭と足とをもってあたりを打ち、血が取り去れられて頭の皮を剥がれるまで止めなかった。五分の後には黒い頭はすでに剥がれて、赤くなっていた。五分前まで美しい光に輝いていた両眼は、見据えたままガラスのようになった。」

 それからレフ・ニコラエーウィチは屠殺所の中で、小さな家畜、すなわち羊や子牛の殺される方の部分へ行った。ここでは仕事はすでに終わって、残っていたのは二人の屠者ばかりであった。「一人はすでに屠殺された牡羊の足に息を吹き込んで、膨らんだ腹をぼんぼん平手で打っていた。年のゆかぬ今一人の屠者は、血のはねあがった前掛をして、折れ曲がった紙巻煙草を吹かしていた。一見兵隊あがりと覚しいのが、足を縛った若い小羊を持って来て、それを寝床の上でも載せるように一つの卓の上へ置いた。明らかに屠者仲間の知り合いなるこの兵士は彼等に挨拶し、彼等と話を交えて、いつ親方が休みをくれるかを尋ねた。紙巻煙草をくわえて若者は小刀を持って入って来て、卓の縁でそれをこすり、祭日には休みが貰えると答えた。生きている小羊は死んだように、ふてくされたように、じっとしていた。ただ小さな尻尾を早く振ったり、その脇腹をいつもよりも余計動かしている位であった。兵士は一つも力を用いずにそっと小羊の頭を抑えつけ、若者は話を続けながら、左の手で頭を掴み、そして咽喉笛を切った。小羊はあちこち身を悶えた。尻尾は硬くなった、そして最早動かなくなった。若者は血の流れ出てしまうのを待って、消えた紙巻煙草に再び火をつけた。血は迸り出て、小羊はぴくぴく動き始めた。会話はしばしば中断せずに進んだ。」

 「なお日々幾千の厨房では、頭を切られた雌鶏が血塗れになりながら、滑稽にしかも気味悪くそこらを飛びまわり、そして羽ばたきをしているだろう。」

 かくして、メレジコーフスキイは言います。「ほんとにこんなことをしても罰があたらないものだろうか?」この疑問はあらゆる読者の心中に覚えず知らず繰り返される、と。そして、「人間よ汝は獣類の王(re delle bestie)である…なんとなれば、誠に汝の獣性は最大であるから」という、レオナルド・ダ・ヴィンチ──「肉食」を制し、すべての生物を憐れんでいた、もう一人の偉大なるアリアン人──が日記に書いた言葉を紹介しています。「十六世紀のフロレンスの一旅人は、インドの奥地における仏教の隠遁者のことを物語るにあたって、彼等と同じく『自己の面前に置いてある生ける動物に、さらに植物にすらも害を加えることを許さなかった』同国人レオナルドのことを想いだしている。

 さらに殺生に関連して、メレジコーフスキイは仏教に言及し、次のように述べています。「生ける動物に対するこの古い際限なきアリアン族の憐憫より、仏教は生じた。しかしてそれは堰を破る洪水のごとく、かつて世に存した文化的建物のうち最も強く最も頑固なものを破壊した。すなわち神と動物との隔りよりも一層ひどくバラモン族とパリア族とを容赦なく隔離せるインドの階級を打破したのである。

 もし人間が「一者」であり、また牛や豚や鶏も同じ「一者」であり、共に「コスモス」の構成要素であるなら、「つながりコスモロジー」の自覚は、生皮をむかれて激しい苦痛にのたうつ牛への限りない憐憫を伴うはずであり、さもなければそれは単なるきれいごとに終わるでしょう。

 かくして、「徳行はビフテキと兩立しない」というトルストイの言葉に言及しつつ、メレジコーフスキイは次のように預言しています。「もし人々がいつか肉食を制するようになるならば、それはそうあらざるべからざるが故ではなく、ただかく欲するが故である。心情が、自由意志的にしかも抑え難い程その方へ引きつけられるが故である。それが律法なるが故ではなく、自由なるが故である。そして世界はこの自由に、この終局に向かって進んでいる。

 「食事あるいは食べ物」は、このように、魂の世話ないし養成に深く関わっているのです。

 生きることに含まれる「すっきりしなさ」から私たちは目をそらすことはできません。そこに人間存在というものがかかえている厄介さや、逆に思索・行動へのバネのようなものが感じられるということを、自戒の念を込めて指摘したい。例えば、ご存じのように、インドでは牛を殺すことは憲法で禁じられており、さすがのマクドナルドもそれを破ることはできないわけですし、また、別に牛肉を食べなくてもインド人は元気に増え続けています。

 もし人類が進化すれば肉食および動物の残酷な殺戮を辞退するようになるだろうとメレジコフスキーが予言していますが、その点では少なくとも総体としてインド人は肉を食する人々より進化していることになり、インド憲法は動物との関わりについてのある画期的な答えを与えていると思います。しかし、その同じインドに、非差別民の元型たる不可触賤民が依然として多数暮らしています。屠殺場をなくしても、依然差別はあり続け、社会制度の中に組み込まれているのです。

 にもかかわらず、牛の屠殺を禁止しているインド憲法の精神の由来をはるかに辿って行くと、メレジコフスキーの指摘中にある「生ける動物に対するこの際限無きアリアン族の憐憫より、仏教は生じた。しかしてそれは堰を破る洪水のごとく、かつて世に存した文化的建物のうち最も強く最も頑固なものを破壊した。すなわち神と動物との隔りよりも一層ひどくバラモン族とパリア族とを容赦なく隔離せるインドの階級を打破したのである」という仏教の誕生に突き当たるのです。人類が総体として依然として持ち続けている暴力性・残忍性というものを考える時、今から二千年以上前にインド人の祖先たちの多くが、動物だけでなく同胞に対しても抱いた慈悲心が仏教として結実したという事実は、少なくとも私にはとても感動的なことに思えるのです。

 メレジコフスキーはこうした事柄に関連して、次のような古いインドの伝説を紹介しています。

 ある時悪魔が世界の救主なる仏陀を試みようとして、禿鷹に扮して鳩を逐った。鳩は仏陀の懐に逃れ、仏陀はこれを庇護しようとした。すると禿鷹の曰く、「汝はいかなる権利があってわが獲物を横取りしたか。鳩が自分の爪牙にかかるか、但しは自分が餓死するか、とにかく吾々の一つは死なねばならぬ。汝は何故に鳩にのみ同情して私に同情せぬのか。もしも汝が慈悲深くて吾々二羽のいずれをも殺したくないと思うならば、わがために汝自身の肉体より鳩と同じ量の肉片を切り取れ。」 そこで二枚の皿のついた一つの天秤が持ち出された。そして鳩は一方の秤盤に下りた。仏陀はその体から一片の肉を切り取って、他方の秤盤の上に置いた。けれども秤盤は動かなかった。彼は更に一片を投じた。更に更に一片ずつ投じた。ついに血がだらだらと流れ出し骨も露になるまでその体全体を切り取った。けれども秤盤は依然として動かなかった。そこで最後の力を奮い起こしてその秤盤に近づいて、彼はその中に身を投げ入れた。その時秤盤は下がって、鳩の方が上った。

 

 

 そして、骨と皮ばかりで肋骨の浮き出た苦行中の仏陀座像を想い出しました。そのとき仏陀の内面では、このような人間として成しうるギリギリの思索がおこなわれていたのでしょうか。これは仏教の教えというよりはむしろジャイナ教の教えそのものであり、宮沢賢治著『よだかの星』のよだかの考えたことの源流のように思われます。また『死霊』の著者、故埴谷雄高がジャイナ教をその思想の中核に据えていたことも想い出されます。

 

 

 

Radha Chihiro
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