神が肉を食べることを許したのは、
緊急時のサバイバルの目的にすぎない。
神は人間に肉を食べるように望んではいない。
3つの理由
- 健康面
家畜の飼育環境はもとより、動物性食品重視の摂取習慣をしている人と肥満や生活習慣病との因果関係は、信頼できる多くの研究が裏付けていて、もはや反論の余地はない。 - 倫理面;殺すなかれ
今日肉食者の食習慣を支えるために、毎日何百万もの動物の命が奪われている=虐待行為。こうした虐待を受けた動物を食べた人は、命を奪われた動物の怨念を背負い込むかのように暴力的になってしまうことも観察されている。 - サステナブルの面;地球環境の維持
肉食習慣は想像を絶するほどの地球環境汚染問題を伴う。家畜飼育のためには大量の農作物・水・化石燃料を浪費=世界飢餓の問題を生みだす。
クリスチャン向けの見解
神は「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう」(『創世記』第1・29節)と言い、人間の食べるものとして、果物や野菜を用意してくださった。その時代には病気は一切なく、人々は900年余りも長生きしていた。
ところがノアの洪水以降、果物や野菜など、地面に生えていたものが洪水で流されてしまったため、神は人々が肉を食べることを許した。それ以降、肉食が習慣化されるとともに病気に苦しむ人が現れ、人の寿命が急激に短くなった。
キリスト教徒であろうとなかろうと、私たちは地求人として、この問題と深刻に向き合う必要がある。