源へ

 

Oshoは言う
あらゆる欲望は、存在への不満である。
あらゆる欲望は、現在の自分、現状への不満である。
そして
あらゆる欲望は、満たされない。
ゆえにその後、挫折をもたらす。
欲望は未来を呼び込み、現在を乱す。
そして
欲望は「私」という概念を生み出す。
そうでなければ「私」は存在しない。

内側へ向かえば、
そこには誰もいない。
ただ完全なる沈黙があるのみ。
これこそが
仏陀が「無我 (ANATTA) 」と説いた真意だ。
無我/no-self を知ることは成熟である。


荘子は言う
あなたは依然として、
自らの期待に導かれている。




欲望
期待
満たされなさ…
卵が先か鶏が先か
‘私’が先かそれらが先か

いったい
「私」は誰なのか?

 

 

何かが起こる
それは
あなたによって
あなたを通じて
あなたに起こる。
あなたは
自分が知覚するすべてのものの
創造者
享受者
破壊者
なのだから。

すべてのコタエは
あなたのなかにしかない。

「私は誰か?」という問いは
答えを得るためのものではない。
それは
問う者を「消し去る」ためにあるのだ。
──ラマナ・マハルシ

自分が溶け去る
在ることの究極に在るために……

   

 

絶対的、究極的実在

より重要でありながらつかみにくい点は、
この驚異的現象存在の源──
本質を超えた形なき存在(非顕現)が顕現されたものの根源が、
実は実体的不在であるということだ。
──ニサルガダッタ・マハラジ

つまり
不在になるほど存在する。
The less you are, the more you are…

 

放棄とは
世のものを手放すことではなく
それらが去ってゆくことを
受け容れることです。
──鈴木俊隆

Renunciation is not giving up the things
of the world but accepting that they go away.

私が消える
とは
在るけれど無い状態
無心・ノーマインド
無我の境地
すると当然
なんにもないのだから
ほんとうに
ぜんぶが
どうでもよくなる
すべてを
受け容れ
すべてを
ゆるせる。

だから
二も一もない
ただ在るのみ。

二元性は自然の鼓動に脈打つ
非二元性は真我の核心に宿る
一なるものから二なるものへ
そして一なるものへとかえる

 

 

タオ


タオ

究極の空を成し遂げよ
不動の静けさに留まれ
老子

 

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