無双生命原理

 

判断力の生長の 7 段階

 判断力と云うものが人生においては唯一のコンパスである。あらゆる人間の不幸せは皆、判断力の狂い、または曇りから来るのであるが、病気と云うものはその最初の警告であり、不幸の空襲の警戒警報である。健康でいて不幸になる人はいない(あったら、肉体だけの健康であり、その人の健康法はその人自らの発見でも発明でも創作でもなく借りモノ、親ゆずりモノで、外見だけのものである)。

  • 【第1判断力】剣によって起つ者は剣によって亡ぶ
  • 【第2判断力】感覚によって判断する者は快楽によって亡ぶ
  • 【第3判断力】感情による者は優柔不断におちる
  • 【第4判断力】学術による者は分析に迷う
  • 【第5判断力】社会主義思想は個人を見失い、大いなる相剋対立、闘争を生む
  • 【第6判断力】思想的、精神的指導は、おごれる者と、迷信と盲信の徒を生む
  • 【最高判断力】宇宙の秩序は、上記6段の低判断を統一制御し、平和と自由と正義への無上道を示す

 万人共通の願いは自由(健康)と幸福(平和)である。その願いの実現のために、万人は自己の判断によって各自の道を選ぶ。その判断に7つの段階がある。

 その第1──第6の段階は必ずコト志に反し、終局において、願い(自由と平和)の反対の極(不自由と争い、対立)に到達する。それら6段階を経て第7の判断──唯一無双の世界観に到達する者のみが初めて自由と平和と正義の世界(幸福──第7天)を望見する。

 この第1──第6の工程なくしては自由と平和は発見されない。その工程の羅針盤が数千年前に東洋の自由人によって発見され、万人が、いつどこでも実用できるように簡単な道具に造り上げられた。それを陰陽弁証法、易(帝王の学)、宇宙の秩序、無双原理、宇宙論理学、魔法のメガネなどと呼ぶ。

 東洋は一万年も前にこの最高判断力に達していた。五千年前のウパニシャッドやギーターの聖典はその証明である。エスクレピオスやヒギエーナ姫、神農や少彦名神の神話やヴェーダ聖典、バガヴァッド・ギーターなどに面影を見せる『生命原理』の道である。

(**This is what I wanted to convey most.)

 それは無限の自由と、永遠の幸せと、絶対無上の正義を実生活化する万人向け実用弁証法である。・・それが五千年前から迷信に堕落しはじめ、今はその末期になっている。

 真の道を求めるためには父母兄弟を捨てなくてはならない。目の前の快適さだけが天国ではない。至るところに天国を見出すことができない間、人間は不自由人、つまり奴隷なのである。奴隷はクサリを断ち切って、脱出しない限り、奴隷である自分の哀れさを知ることはできない。この世に不可能と云うモノがあったなら、それはその人の傲慢さと愛の無さと、排他性と敗北者心理の自供である。

(**Seek truth, not comfort.)

 

 

失敗より外に良師はない

 失敗に失敗をかさねて、ついに『ワビシサ』を知る境地に達すると(つまり、自分の罪業の深さ、愚かさ、ケチ臭さ、憐れさ、惨めさ、を知りぬき、宇宙の偉大さと、その秩序の厳しさを知ると)、人は初めて自分の本体や魂の起源や、無限の幸せや、絶対の正義への郷愁をおぼえはじめるのだ。

 私は失敗する勇気のある少年や少女を愛し、それの無い者を哀れみ、失敗することを勧める者ではある。ただ嘘をついてその失敗を隠す者は捨てておく。彼がそれにより失敗を大きくし、取り返しのつかなくなる前に目を覚ますことを望むだけだ。

 嘘を修業の間につく者はたいてい見込みがない。嘘というものがすべて失敗を大きくし、罪を大きくし、愛する人に対する裏切り、自分を惨めな者にすることを知らない間、人間は嘘をついてみるがよい。嘘をつくことがいかに大きな損であるか、と云うことも実際経験しなくてはわかるものではない。

桜沢如一(George Ohsawa)がインド滞在中にMI(日本CI協会の前身)へ送った言葉の抜粋

**I used to read many of his books, including “Muso Principle, I Ching/Yi‐King” (無双原理・易) during my macrobiotic practice. Do you understand what he really wanted to convey?

 

Radha Chihiro
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