存在は、
今ここで、
あなた方に天国を与える用意がある。
だがあなた方はそれを延期し続ける。
それはいつも死んだ後だ。
私のアプローチは、
これが天国で、
ほかのどこにも天国はないということを、
あなた方に教えることだ。
そして、
幸福でいるために
どんな準備も必要ではない。
愛情深くあるために
どんな規律も必要ではない。
ただ、
ほんの少しの注意深さ、
ほんの少しの目覚め、
ほんの少しの理解があれば。
*
自分の肉体を苦しめることで
意識を高めることはできない。
肉体は愛されなければならない。
自分の肉体の
親しい友だちでなければならない。
それはあなたの家だ。
自分の肉体から
あらゆるがらくたを
落とさなければならない。
そしてそれが、
来る日も来る日も、
たえず自分のために
働いてくれているのだということを
覚えていなければならない。
消化し、
食べ物を血液に変え、
死んだ細胞を肉体から排泄し、
新しい酸素、新鮮な酸素を
肉体に取り込んでいる──
それなのにあなたは
深く眠りこけている。
それは
あなたの生存のために、
あなたの命のために、
あらゆることをしている。
もっとも、あなたは
いまだかつて自分の肉体に
感謝したこともないほどに
恩知らずなのだが。
それどころか、
あなた方の宗教は、
肉体を苦しめるように教えてきている。
肉体は敵であり、
人は肉体から、
その執着から解放されなければならないと。
私もまた、
あなた方は肉体以上のものであり、
いかなる執着も必要ではないと知っている。
だが、
愛は執着ではない。
慈悲は執着ではない。
愛と慈悲は、
あなた方の肉体とその滋養のために、
絶対に必要なものだ。
そして
よりよい肉体を持っていればいるほど、
それだけ意識の成長の可能性も大きくなる。
それらはひとつの有機的統一体だ。
根本的に、誰もが
ハートの沈黙へと導かれるような、
すなわち
瞑想へと導かれるような、
まったく新しい種類の教育が
世界中で必要とされている。
そこでは誰もが
自分自身の肉体に対して
慈悲深くあるように、
準備しなければならない。
なぜなら、
自分自身の肉体に対して
慈悲深くない者が、
他人の肉体に対して
慈悲深いことなどありえないからだ。
肉体は、存在全体における
最もすばらしい神秘だ。
この神秘は愛され、
親密に探求される必要がある──
その不思議、
その働きを。
だが
宗教は、不幸なことに
絶対的に肉体に反対してきた。
そのことは、
ある手がかり、
明確な暗示を与えている。
もし人が
肉体の知恵と肉体の神秘を学んだら、
決して
聖職者や神には惑わされないだろう
ということだ。
そのとき彼は、
もっとも神秘的なものを
自分自身の内側に発見する。
そして肉体の神秘のなかに、
あなたの意識の
まさに聖堂がある。
そして
ひとたびあなたが
自分の意識に、
自分の実存に気づいたら、
あなたの上には
どんな神も存在しない。
そのような人だけが、
ほかの人に対して、
ほかの生き物に対して
敬意を持つことができる。
なぜなら彼らはすべて、
自分自身と同じように神秘的だからだ──
生をより豊かなものにする
さまざまな表現、
多様性だからだ。
ひとたび自分自身の内側に意識を見つけたら、
彼は究極なるものへの鍵を見つけたのだ。
自分の肉体を愛することを教えない、
自分の肉体をいたわることを教えない、
その神秘のなかに
どのように入っていくかを教えないどんな教育も、
自分自身の意識のなかにどのように入っていくかを
教えることはできない。
肉体こそが扉だ。
肉体こそが踏み石だ。
そして、
人の肉体と意識という主題にふれないどんな教育も、
絶対的に不完全であるだけでなく、
まったく有害だ。
それは破壊的であり続けるからだ。
あなたを破壊から守り、
創造への途方もない衝動──
この世にもっと
美を生み出し、
この世にもっと
快適さを生み出そうとする衝動──を与えるのは、
あなたの内なる意識の開花だけだ。
*
新しい人間こそが、
これまでこの世に起こったことの中で
最大の革命だ。
そして私たちは、
古い世界とその悲惨を知っているがゆえに、
それらの悲惨をすべて避けることができる。
その嫉妬のすべてを、
深刻さのすべてを、
怒りのすべてを、
戦争のすべてを、
破壊的傾向のすべてを、
避けることができる。
新しい人間とは、
どんな美名のためにも
自分たちを犠牲にすることを、
もはや誰にも許さない、
ということだ。
私たちは理想に従うのではなく、
自分自身の憧れ、
自分自身の熱烈な直観に従って
自分の生を生きていく。
そして私たちは、
その瞬間その瞬間を生きていく。
私たちはもはや、
「明日」と明日への約束によって
騙されるつもりはない。
新しい人間とは、
古い人間の改良ではない。
それは連続的な現象ではなく、
洗練ではない。
新しい人間とは、
絶対的に新鮮な人間の誕生だ──
条件づけられず、
どんな国家も持たず、
どんな宗教も持たず、
男性と女性、
黒人と白人、
東洋と西洋、
あるいは北と南というような、
どんな差別も持たない。
新しい人間は、
さらなる創造性、
さらなる美、
さらなる人間性、
さらなる慈愛というように、
生の喜びを、
生の楽しみを
いかにして増大させるかに関心を持つ、
まさに地の塩となるだろう。
私たちは
全面的な変容を
通りぬけることができる。
純真な人びと、
愛に満ちた人びと、
自由の中で生きる人びと、
互いが自由であるように助け合う人びと、
互いの創造性のために、
そして誰もが
尊厳をもち、
尊重されるために
滋養となるような人びとを、
創造することができる。
新しい人間とは、
新しい人類、
ひとつの人類ということの宣言だ。
これは大いなる、
幸運な瞬間だ──
このような
挑戦的な状況のなかにいるということは。
これは
地球を破壊することになる状況ではなく、
ただ教会と政治家たちと過去に
しがみついている者たちだけを
破壊することになる状況だ。
未来について何も心配する必要はない。
この挑戦を引き受けるために、
時を違えずして科学が登場している。
これこそ
黄金の機会だ。
なぜなら、
もし全人類が
問題の根本に気づくようになれば、
その時解決は、
ほんとうのところきわめて簡単だからだ。
Osho
誇りはエゴではない
エゴは中身のない何かだ
あなたは自分の個性に
何らかの誇りを見いだすように
助けられなければならない。
その誇りが
あなたの目を輝かせ、
あなたの顔を明るくし、
その誇りが
あなたを
劣等感や優越感という問題がもはやない
ユニークな個人にしてくれるからだ。
誇りを抱いている人はみな、
つねに感謝している。
ほんとうの天才は、
自分が選ばれたことに誇りを抱いている。
あなたと比べて誇りに感じているのではない。
エゴは比較だ、
自分のほうが上で、
優れている。
だが、比較がある。
森に独りで住んでいたら、
あなたが優れていることはあり得ない──
誰と比べて優れているというのか?
劣っていることもあり得ない──
誰と比べて劣っているのか?
誇りある人は、
自分にそれだけの価値がないのに、
存在が自分を選んでくれたことに
深く感謝している。
それは不思議な現象だ。
自分に価値があればあるほど、
自分にはそれだけの価値がないと感じる。
あなたはひじょうに多く与えられてきているのに、
何ひとつ返すことができない。
ここには誇りある人たちがいることだろう。
私は、
私のサニヤシンたちに誇りをもってほしい、
自分たちはサニヤシンであるという事実にさえも。
彼らはあらゆる正統的な慣習に、
伝統に、因習に、
腐敗したすべてに逆らい、
新鮮なものへと、
若さへと、
新しいものへと
出て行くだけの勇気を持ち続けてきた。
あなたがたは恵まれている。
だが、あなたがたは
恵まれているだけでなく、
感謝に満ちているだろう。
それが、
覚えておくべき
エゴと誇りの違いだ。
私は
エゴを壊し、誇りを創る。
エゴは、
あなたを食べ、
他の人たちをも食べ尽くす、
癌のようなものだ。
誇り、自尊は、
創造的な現象だ。
それは、
あなた自身の潜在能力を発揮させる。
それはまた、
あなたが世界に持ち込んだあらゆる宝を
世界と分かち合う。
だから、
ここでは状況がまったく違う。
私は世界全体でそうあってほしい。
だが、彼らはとても恐れている。
私が
彼らの道徳を、
彼らの宗教、
彼らの過去を
破壊しかねないという彼らの恐れは、
彼らの根がすでに
過去から引き抜かれているということを
はっきりと示している。
彼らは、
この古いゴミのすべてを
なんとかして運び続けようという、
見込みのない希望を抱いているだけだ。
私たちはそれを何世紀ものあいだ
輝かしいものとして尊重してきたからだ。
今になって突然、
それをゴミとして道端に捨てるとなったら、
エゴが傷つく。
なぜならそれは、
何世紀にもわたって
エゴは間違っていたということだからだ。
サニヤシンには
怖れを落とす勇気が必要だ──
怖れを落とさない限り、
エゴは落ちないからだ。
そして、
エゴを落とさなければ、
重荷全体、
荷物全体、
腐ったすべてを
担うしかない。
あなたの全エネルギーが
死物を持ち運ぶことに浪費される。
ちょっと、
あなたの父、祖父、先祖たち全員を背にしょって、
マリンドライブに向かっている自分を考えてごらん。
果たしてマリンドライブに行き着けると思うかね?
あなたの背で列をなしている人たちは
切りがないのだ。
どの摩天楼も小人のように見えるだろう。
重荷は途轍もないことになり、
スラジ・プラカッシュの助けがなければ
運べないだろう──
トラックが、輸送車両が必要だ。
そして、あなたの一生は
これらの死者たちを運ぶことで
すっかり無駄になる。
そして、
私たちはみな、
彼らを運んでいる。
人生が深刻に、
耐えがたく、
重く、潤いがなく、
無味乾燥したものになるのはそのためだ。
さもなければ、理由がない。
あなたは
赤い花々を咲かせて
緑豊かでいられるのだ。
そして、
どのような比較も必要ない。
この惑星のすべての人たちを
皇帝にしてもいいではないか?
何か問題があるかね?
それは
世界を理解しているかどうかということだ──
そして、
あなたが自分自身を理解したら、
世界を理解するのはむずかしくない、
それはもっと簡単なことだ。
そして、
皇帝であろうが奴隷であろうが、
それは
自分が決めることだといったん理解したら、
誰が奴隷になるほうを選ぶかね?
自分に満足を与えてくれる何か、
満たされているという深い感覚、
自分は必要もなくここにいるのではないという感覚を
与えてくれる何か、
それを創造することに
自分の全エネルギーを注ぐことができたら、
あなたは何かの貢献を果たしたことになる、
世界をもう少し美しくしたのだ──
もう少し多くの花を付け加えたのだ。
戦う必要はない。
あなたが誰よりもまさっている必要はない。
もし誰もが
もう少し多くの花を
付け加えていくなら、
この世界全体は
再び庭園になることができる。
Osho
あなたはユニークな個人
あなたはすでに
優越意識よりもはるかに高い何かを
持っています
あなたの他に何もない
Nothing else but you