気がつくと、わたしは炎のような雲に包まれていた。一瞬、火事かと思った。どこか近くが大火事になっているのかと思ったのだ。ところが、つぎの瞬間、燃えているのは自分の内側であることに気づいた。
その直後、えもいわれぬ知的な光明をともなった極度の高揚感、歓喜の絶頂がやってきた。そして、宇宙が死せる物質によって構成されているのではなく、一つの「生ける」存在であることを知った。単にそう考えたわけではない。わたしは自らの永遠の生命を自覚した。永遠に生きるという確信をもったのではなく、自分に永遠の生命があることを自覚したのだ。
さらに、人類すべてが不死であることを知った。あらゆる物事が協力しあいながら、互いのためによかれと思って働いていること、あらゆる世界の根本原理が、いわゆる「愛」であること。そして、長期的に見れば、誰もが幸福になることは絶対に確実であること。宇宙の秩序とはそういうものであることを知ったのだ。
リチャード・モーリス・バック『宇宙意識』
ケン・ウィルバー『無境界』より
(ウィルバーが著書で引用)
「その瞬間」、自分という意識が消え、自他の境界がなくなり、周囲のすべて、宇宙との一体感をありありと感じ、すべてを赦し、すべてを包み込む、無限の「愛」に満たされる。
宇宙自身が、自分自身を知るための感覚器官として人間を生じさせた。地球を一個の生命体として見なすガイア理論を拡張していけば、究極的には宇宙そのものも、ひとつの生命といえる。
悟りは、この宇宙的な意識と共振する体験。だからこそ、悟りの体験をした賢者の多くは「宇宙と一体になった」という感覚を語っている。悟りとは、率直に、この一度きりの人生の中で、絶対的な真理を知りたいという根源的欲求、つまり人類共通の目標なのかもしれない。
何も引かない、
何も足さない。
初めから宇宙は完全である。