生きている存在を殺す理由は何?

 

私は菜食主義を
信じていない。
なぜなら
私は何も
信じないからだ。

私の弟子たちは
カルトとしての、
信念としての
菜食者ではない。
彼らが菜食なのは
彼らの瞑想が
より人間的に、
よりハートに導くからだ。
愚鈍な人々が
生き物を食べ物として
殺しているのを
見る事ができるからだ。
彼らの繊細さ、
美的な気づきが
彼らを菜食にする。

私は
菜食主義を教えていない。
それは
瞑想の副産物だ。
どこであれ
瞑想が起これば、
いつも数千年に渡って
人々は菜食になった。
世界で最も古い宗教は
ジャイナ教だ。
それは小さな宗教なので、
世界では
あまり知られていない。
それはインドの中でだけ
存在している。
ジャイナ教に神はいない。
そういうわけで
祈りも不可能だ。

神と祈りを除いたとき、
宗教に何が残るのだろう?

神は
どこか外側に存在する。
あなたの祈りは
どこか外に宛てられる。
神と祈りを除いたとき
あなたは言うだろう、
「私は今や
 内側に向かいたい。」
そして瞑想は
内側に向かう方法だ。
数千年に渡って
ジャイナは菜食だった。
あなたは
ティルタンカラと呼ばれる
24人の教師がいて、
全員戦士の城から
やってきたという事実を
知らねばならない。
彼らは全員肉食だった。
彼らは職業的な戦士だった。
彼らに
何が起こったのだろう?

瞑想はヴィジョンを
丸ごと変容させる。
手から剣を落とすだけではなく、
彼らの戦士の境遇も
落としてしまった、
新たな現象が
起こり始めた。
途方も無い愛が
存在に向けられた。
彼らは全体と
完全にひとつになった。
菜食と言うのは
その大きな革命の
一部分に過ぎない。
同じ事が
仏教でも起こった。
仏陀は神を信じない、
祈りも信じない。

私は
あなたに理解して欲しい。
神と祈りが取り除かれたとき、
それらは内へと向かう。
仏陀もまた戦士の城から
やってきた王子だった。
殺すためのトレーニングを
受けていた。
彼は菜食者ではなかった。
しかし
瞑想がはじまり
彼を花開かせた、
副産物として
菜食のアイディアが
彼の存在にやってきた。
あなたは食べるために
動物たちを殺せない、
あなたは命を壊せない。

いろんな種類の
おいしい料理が
用意されているのに、
生きている存在を殺す必要は
何だろう?

宗教は何も出来ない。
これは唯あなたの繊細さ、
美的な理解からそうさせた。
ジャイナ教と仏教は、
神と祈りのないもので、
自動的に
両者は菜食になった。
同じ事が
サニヤシンにも起こっている。
キリスト教は菜食ではない、
イスラム教は菜食ではない、
ユダヤ教は菜食ではない。
単純な理由で
これらの宗教は
瞑想を持ち込むという
革命はない。
彼らは瞑想に目覚めていない。

彼らは
偽りの神に祈り続ける、
それらは
生に変容を持ち込まない、
なぜなら
彼は存在しないからだ。
あなたの祈りは
空虚な空へと宛てられる。
それらは
どこにもたどり着かない、
それらは誰にも聞かれない、
それらが答えられる事はない。
誰も答える人がいない。
あらゆる宗教は
神という見解に留まり、
引っかかっていて、
肉食に留まっている。
そういうわけで
これは理解すべき単純な現象だ。

Osho – From Death to Deathlessness

 

動物は殺されるとき涙をながす

私たちは隠されている
より賢明な別の動物の概念が必要だと
自然から離れ人工的な環境で暮らす
人間のガラス越しによる調査は
動物たちの真の姿を
おおきくゆがめてしまっているかもしれません
私たちは彼らの不完全さを見下げ
私たちよりもはるかに下等な存在だと思ってしまいました
それは非常に大きな間違いでした
人間の概念で動物たちを推し量ってはいけません
私たちより長い間この世界に生き
完成された動作をし
私たちが失った又は持っていない感覚を持ち
私たちの聞こえない言葉によって生き
彼らは同類ではありません
彼らは下っ端でもありません
彼らはほかの国家です
しかし彼らは私たちの網に捉えられ
生涯囚人のような苦しみを与えられ続けます

屠殺場ではいったい何が行われているでしょうか
強者による力の乱用です
1分間に1000回以上アメリカだけで年間60億回屠殺が行われています
強大な力を持った人間たちにいつ死ぬかどこで死ぬか
どのように死ぬかを決められてしまいます
もし肉のために自分で動物を殺さねばならないのなら
全員ベジタリアンになるだろうと言われ続けています
確かにほんの数人しか屠殺場を見学などしません
それに屠殺場での仕事はテレビの人気番組ではありません
せめて自分の買っている肉になった動物が
苦しまずに死んでくれたらと思いますが
彼らは本当のことを知りません
牛はすべて焼印をおされます
基本的には顔に
角の切断は麻酔なしで
大きなペンチによって行われます
乳牛は動けない折に一日中鎖でつながれます
牛乳の生産性を上げるために殺虫剤や抗生物質が使われます
しまいには乳牛は疲れ果て倒れてしまいます
普通は牛の寿命は20年くらいですが
乳牛は4年くらいで殺されます
その肉はハンバーガーとしてファーストフードで使われます
屠殺銃は家畜が痛みを感じることなく
意識を失うように設定され
圧縮された空気によって金属の矢が打ち出され
家畜の脳に突き刺さります

アースリングス

 

あなたは動物の苦しみを食べている

菜食はとても助けになる。
それはあなたの化学的性質を変える。
あなたが動物を食べて生きていると……。

まず最初に、
動物が殺されるときはいつも、
その動物は怒っている、
怖がっている……当然だ。
あなたが動物を殺すときは……
ちょっと自分が殺されることを考えてごらん。
あなたの意識の状態はどうだろう?
あなたの心の状態はどうだろう?
あらゆる種類の毒があなたの体に放出される。
というのも、
怒っているときは、
ある種の毒が血液中に放出されるからだ。
怖がっているときも、
また別の種類の毒が血液中に放出される。
そして、あなたが殺されるとき、
それが恐怖の、怒りの頂点だ。
あなたの体の中のすべての腺が、
そのすべての毒を放出する。

そして、人は
その毒の入った肉を食べて生きつづけている。
それがあなたをいつも怒らせ、
暴力的に、攻撃的にさせている。
それは不思議でも何でもない、
自然なことなのだ。

あなたが殺すことで生きているときはいつも、
命を尊重することがまったくない、
あなたは命に敵意を抱いている。
そして命に敵意を抱いている人は、
祈りへと入っていくことができない……
祈りとは命を尊ぶことだからだ。

Osho

Radha Chihiro
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